クレイプメートルの徒然日記

神武天皇東征(古事記)に書かれた岡田宮

2023/03/10 14:33 趣味

一つ前のブログで、岡田神社の元宮、一宮神社のことを紹介しましたが、今回は岡田神社について調べてみました。岡田神社は、3年前のお正月に初もうでに行っていましたが、人が多くて周りの景色はあまりよく見ていませんでした。今回は平日にゆっくり訪れてみました。

岡田宮と書かれた鳥居をくぐり、階段を登って右手に進みます。

左手の階段をさらに登ります。

岡田社と書かれた額の下には、菊の御紋が見えました。

御手水です。


参道の右側には「ヤタガラス」の像がありました。

左側には金鵄(きんし)の像がありました。

神武天皇のフォトスポットもありました。

御朱印は選びきれないくらいたくさんの種類がありました。今回は神武天皇の東征について興味があったので、この御朱印にしました。

神武天皇の東征のルートが線で描かれていて分かりやすいです。ちなみに福岡県にあるスポットがこの岡田宮になります。大分県は「宇佐神宮」です。

前回のブログでヤタガラスのことは書いたので、今回は「金鵄(とび)」について少し調べてみました。

「金鵄」は神武東征神話のクライマックスで登場します。最終決戦の相手「ナガスネヒコ」に対して苦戦が続いていました。その時、突然曇り氷雨が降る中、金色の「霊鵄」が飛来して、神武天皇の弓の先に止まりました。すると、金鵄は光り輝き、稲妻のような光を放ち、「ナガスネヒコ」の軍兵たちは、眩惑して力戦不能に陥りました。こうして神武天皇の東征軍は勝利することができました。この「霊鵄」のことを指して「金鵄」と呼ぶそうです。

岡田宮は天武天皇だけでなく、第14代仲哀天皇とその后、神功皇后をお迎えした地でもあります。前回のブログでも紹介しましたが、以前岡田宮があった辺りは、今は皇后崎公園と呼ばれています。

仲哀天皇と神功皇后についても少し調べてみました。興味のない方は、スルーしてくださいね。

367年春、仲哀天皇は朝廷への朝献を無視した熊襲(くまそ)を打つために親征し、筑紫(福岡県)に向かいます。熊襲というのは、古代、九州中南部に住んでいた種族です。その途上、仲哀天皇と神功皇后を迎えたのが、岡(旧遠賀郡)の県主(あがたぬし)の祖先、熊鰐(くまわに)でした。日本書紀によると、熊鰐は周防で出迎え、土地を献上し、筑紫の航路を伝え、熊手と称したこの地で一行を歓待します。仲哀天皇と神功皇后は、この滞在の折に岡田宮に詣り、八所神を祀ったとされています。

神功皇后は福岡県の香椎宮で仲哀天皇が崩御されてから、応神天皇が即位されるまで、初めての摂政として約70年間君臨されました。応神天皇がまだお腹の中にいる時に熊襲を征伐、その後、朝鮮出兵の帰路に、福岡で応神天皇を出産されます。出産された土地は、「産み」に通じる「宇美(うみ)町」という地名になっています。

また岡田宮からも見える「皿倉山」の名前も、神功皇后が山に登られて国見岩からはるかな国々を眺望されて下山の折、さらに夕闇が深まっていたので、「更にくれたり」と言われたことから「更暮山」あるいは「更暗山」と呼ばれ、「皿倉山」に転じたとされています。「国見岩」という名前も、この伝説にちなんでそう呼ばれています。神功皇后の伝説はまだ色々あるようです。

皿倉山の現在の写真です。ケーブルカーがあり、622メートルの山頂からの夜景は「新日本三大夜景」に選ばれています。また北九州市は「日本新三大夜景都市」の1位に選ばれました。(前回は3位)

前回のブログでも紹介した「石上(いそのかみ)神宮」には、神武天皇が使われた「ふつのみたま」の御神剣のほかに、古代の鉄剣「七支刀」も国宝になっています。剣身の左右に段違いに3本ずつ、6本の枝刃をもつ珍しい形のご神宝です。神功皇后摂政52年、日本書紀に百済から「七枝刀(ななつさやのたち)」が献上されたとの記述があります。一度見てみたいです。

「一宮神社」と「岡田神社」は黒崎イオンタウンから近いので、買い物に出かけた時にお参りしたいです。思いがけず神武天皇の古代斎場や東征について知ることができました。まだ福岡県や大分県、宮崎県にはゆかりの神社があるので、近い将来訪れてみたいです。

近所の公園の早咲きの桜も満開です。

こぶしも急に満開になりました。

このところ気温上昇で、春が一気に加速しました。

自己満足のブログでしたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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