今年の2月22日も、昨年と同じく「一宮神社」にお参りして、ネコの御朱印を頂きました。
このあたりは「皇后崎(こうがさき)公園」の一部になっています。名前の由来の皇后というのは、第14代仲哀天皇の后の「神功皇后」をさすそうです。神功皇后が新羅遠征の時、立ち寄り祭事を行ったところでもあります。昔はここは岬だったそうです。神功皇后が山から木を切って船の帆柱を作ったことから、その山は「帆柱山」と呼ばれています。
一宮神社の入り口です。
二の鳥居には、「王子神社」と書かれていました。さらに先に進みます。
左側に宗像大社と同じように、古代斎場が残っていました。昨年訪れた時は、行列ができていて近道したせいか、気が付きませんでした。
古事記によると、神武天皇が滞在された旧跡ということで、この神社がいかに古代からの社であるかを物語っているそうです。
調べてみると、神武天皇の御東征のみぎり、一年間この地に滞在され、御自ら祈願をされた遺跡の様です。この形式の遺跡は、全国でも極めて数少ないもので、考古学的にも貴重であるとのことでした。ここから先は興味がない方はスルーしてくださいね。
もう少し詳しく調べてみると、神武天皇は皇太子の時に日向(宮崎県)の国より東征を始めます。その時は高千穂で宮を営んでいましたが、西の端の地ではあまねく天下を安定させることができないと考え、東のすばらしい土地大和をめざしました。そして日向から船出して、まず大分県の宇佐市に到着します。そこで歓待され饗宴が催され、そこが宇佐神宮になりました。
次に向かったのが筑紫国(福岡県)の岡田宮です。岡田宮の元宮がこの王子本宮になります。昭和25年に「王子神社」「大歳神社」「諏訪大社」の三社を合祀し、「一宮神社」と称したそうです。岡田宮は1605年にここから1キロほど東の現在の位置に移されています。
一宮神社の近くの信号には「東王子町」という名前がついていますし、東王子町に西王子町も存在します。神武天皇がまだ天皇になられる前、滞在中訪れたところに王子町という名前がついているのでしょうか。
神武天皇は、この地から船出して次は安芸国(広島県)で7年過ごされます。多賀神社がその宮跡で、そこから吉備国(岡山県)でも過ごされます。大阪に上陸後、戦いに敗れ、和歌山県の熊野速玉神社辺りに再上陸、壊滅寸前だった戦いで布都御魂(ふつのみたま)という霊剣を授かったおかげで起死回生となり見事勝利。その時熊野で八咫烏(やたがらす)が神武天皇を道案内してくれました。最後に長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼして、奈良県の橿原(かしはら)市の橿原神宮の辺りで天皇として即位されます。西暦紀元前660年の2月11日のことで、現在の「建国記念の日」です。
ところで、神武天皇が授かった御神剣「ふつのみたま」は鹿島神宮(茨城県)の主神である「タケミカヅチ」のものでしたが、宮中で祀られた後、物部氏の祖先によって石上(いそのかみ)神宮(奈良県)に移され、ご神体となりました。鹿島神宮に返されることはなかったのですが、現在鹿島神宮の御神体も「ふつのみたまのつるぎ」で、国内最古最大の直刀で国宝です。ゆえに、鹿島に伝わる剣は二代目ということになります。
ちょうどこの日は、大木の伐採中でした。木が倒れかかってきて危険なので、切っているとのことでした。確かに大木が何本もありました。
今年の御朱印も可愛いネコたちが描かれた、特別な猫の日バージョンでした。もちろん昨年とは違います。
神武天皇が祭祀を行った古代斎場が今も存在し、見れるとは思ってもいませんでした。神話の世界と思っていましたが、全部がそうだとは思えなくなりました。次は岡田宮にお参りしてもっと古代のことを知りたいと思いました。
2月26日「クックパッドニュース」に「キャベツのツナ豆サラダ」が掲載されました。作ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。クックパッド関係者の皆さま、沢山のレシピの中から選んで頂き、ありがとうございました。
長いブログ最後まで読んで頂き、ありがとうございました。